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エーリヒ1世 (ブラウンシュヴァイク=カレンベルク=ゲッティンゲン公) : ミニ英和和英辞書
エーリヒ1世 (ブラウンシュヴァイク=カレンベルク=ゲッティンゲン公)[えーりひ1せい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate

エーリヒ1世 (ブラウンシュヴァイク=カレンベルク=ゲッティンゲン公) : ウィキペディア日本語版
エーリヒ1世 (ブラウンシュヴァイク=カレンベルク=ゲッティンゲン公)[えーりひ1せい]

エーリヒ1世(Erich I, 1470年2月16日 - 1540年7月30日)は、ブラウンシュヴァイク=リューネブルクの1人で、カレンベルクゲッティンゲン侯(在位:1494年 - 1540年)。ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテルヴィルヘルム2世とエリーザベト・ツー・シュトルベルクの次男で、ヴォルフェンビュッテル侯ハインリヒ1世の弟。
== 生涯 ==
1491年に父が退位、領土を兄のハインリヒ1世と共同統治していたが、1494年(1495年とも)に領土を分割、エーリヒ1世はカレンベルク及びゲッティンゲンの領主になった。その後は神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世に軍人として仕え、オスマン帝国と戦い、イタリアフランスとの戦争にも参戦、ランツフート継承戦争にも従軍して1504年レーゲンスブルクでマクシミリアン1世の危機を救い、クーフシュタインでは皇帝を説得して捕虜の処刑を中止させた。
1519年に兄の後を継いだ甥のハインリヒ2世ヒルデスハイム司教が領土を巡って衝突、エーリヒ1世はハインリヒ2世に加勢したが、同族のリューネブルクハインリヒ1世がヒルデスハイム司教の援軍として出陣、敗れたエーリヒ1世は捕虜となるが、神聖ローマ皇帝カール5世によってエーリヒ1世は釈放され、ハインリヒ1世はフランスに亡命した。ヒルデスハイム司教とは1523年に和睦、多くの領土を獲得した。
1527年ダッセル(現在のニーダーザクセン州ノルトハイム郡)に城の建造に取り掛かった。1528年に2番目の妻エリーザベトが息子エーリヒを産んだので、その子にちなんでエーリヒスブルク城と名づけられ、1530年に完成した。また、ハノーファーに射撃祭(シュッツェンフェスト)を行うことを許可した。この行事は現在も続いている。宗教改革が始まった時期はプロテスタントに同情的で、エーリヒ1世はカトリックのままだったが、エリーザベトはプロテスタントに改宗した。
1540年、アグノーで死去。一人息子のエーリヒが後を継いだ。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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